Another Words

突然創作を載せたり載せなかったりします。

血の匂い

その日も薛洋は宋嵐を伴って「夜狩」と称するなにかのために出かけていた。夜半から降り出した雨がやがて雷を伴う豪雨となり、窓から風雨が吹き込む。肌掛け代わりにしていた外衣を身体に巻き付けて、暁星塵は寒さに震えていた。

いったいいつになったら私は仇を討つことができるのだろう。両手の縛めはほどかれ、足の縛めは腰へと位置を変え寝台の周りを立って歩ける程度の余裕のある長さとなったが、この義荘から出ることはできない。霜華はどこかに隠されたままだし、食べるものも身の周りの全ても、薛洋に管理されている。
薛洋の態度は優しかった。時々虫の居所が悪いのか悪態をつくことはあるものの、朝起きるとまず顔を洗う水を桶に汲んで寝台までもってきて、顔を洗い終わると手ぬぐいを差し出し、目を覆う包帯を綺麗に巻き直す。長い時間をかけて丁寧に髪を漉き、どこで手に入れたのかわからないいい香りの油を少し塗って整える。朝餉の支度をして暁星塵がそれを食べる間に、留守中の食事のためのお焼きと水を準備する。それから出かけていって、夕方にはなにかしらの食べ物を持ち帰り、手早く夕餉の支度をする。かつて阿箐と三人で暮らしていたころよりもさらにかいがいしく、それはまるで「尽くす」と呼んでもいいくらいだった。
そして夜狩に出かけない夜はたいてい暁星塵が寝静まったと思ったころに、出かけて早く帰れた日にも、起こさないように指を絡めたり唇を重ねたり、時には髪の匂いを嗅いだりなどしてから、小さな声で名を呼びながらの自慰が始まり、終わった後は必ずもう一度軽く触れるだけの口づけをしてから、なるべく身体が多く触れあうような体勢で眠る。

暁星塵は人の情というものには疎い。抱山散人の元では家族の情というものを知らずに育ち、山を下りてからも宋子琛以外とは親しく付き合うこともなかった。その子琛でさえ、志を同じくする知己ではあったものの、剥き出しの感情をぶつけられたのは唯一白雪閣の惨殺があった時だけだし、それは二人のどちらにとっても良い思い出ではない。そんな暁星塵にとって、薛洋の示すこの態度が一体いかなる感情に基づくものなのかは皆目見当もつかなかった。

そしてそれとともに、自分の感情の変化にもうろたえていた。薛洋のことを憎んでも憎み足りない、必ず亡き者としなければと思いながらも、帰りが遅いと心細く感じ、機嫌よく振舞っているとなぜかほっとする。触れられる手が暖かい、触れられて嬉しいとさえ感じてしまう。

一体自分は何を考えているのか、そんなことを思ううちに、義荘の扉が開き宋嵐が入ってきて、寝台の上に何かをどさっと落とす。普段はこの部屋には入ってこない子琛の気配と、いつもより濃い血の匂い、それも生きた人間の血の匂いに驚いていると、寝台の上に落とされたものが苦しそうな声で言う。
「宋嵐、こいつの縄を切ってから戻れ」
すると拂雪が一閃され、暁星塵の腰の縛めが解かれた。
「薛洋?一体何が…怪我をしているのですか」
「ああ道長、しくじっちまったみたいだ。宋嵐がいなかったらあのままあそこでくたばってるところだった」

「こんな大雨の中を無理に戻らなくても」

「戻らなかったらあんたが死んじまうだろ」

そういうと血だらけの腕で抱きついてきた。

「凄い熱じゃないですか。怪我を見せてください」

「見せてと言われても、道長見えないじゃん」

「見せてというのは言葉のあやです。確認させてください」

そう強く言うと、薛洋は抱きついてきた腕を解いた。そのまま倒れそうになるのを支えて、ゆっくりと寝台に横たえる。

意識は混沌としているようだ。そして薛洋本人の血の匂いに混じり、獣の血の匂いがするのに気がついた。

…これは、食魂獣?本当に夜狩だったのか?そんな、まさかと思いながらも怪我の様子を確認する。幸いにも傷は急所を外れていてそれ自体が致命傷とはなり得なかったが、傷口が濡れたために高熱が出たようだ。熱が長く続くようなら体力が奪われ命に関わる。まずはこの熱を下げなければ。

(幸いにも?)

自分はこの男を殺そうとしていたのではなかったのか?自分の感情が起きた事態に追いつかない。まずは着ているものを全て脱がせ、濡れた体から水分を拭うと、次に血を拭き取っていく。

床に落ちた降災に足が引っ掛かる。これがあれば、この状態ならば、薛洋を殺すのは容易いだろう。しかし、暁星塵の頭にはその考えは全く浮かばなかった。

 

天よ、まだこの人を連れていくな。