薄荷の飴
薛洋の熱が下がった後、再び前のような暮らしが始まった。ただし、もう暁星塵は繋がれてはいない。それでも暁星塵は義荘を離れてはいかなかった。
彼の正体が薛洋であることを知るまで、暁星塵にとっての彼は「少々、いやだいぶ口が悪いが、お節介でよく気がつく、甘いものの好きな生意気な少年」だった。その全てが芝居や偽りだったのだろうか?人は自分の本性をそんなに完全に隠し切れるものではない、と思う。残忍な手口で人を殺し欺く薛洋も、飴が毎日欲しかったと言っていた彼も、どちらも本物の薛洋なのだろう。
親の顔を知らない暁星塵は、抱山散人に拾われて育ち、その高潔さを月に喩えられる人物となった。同じように親の顔を知らない薛洋は、大人に騙され小指を失い捻くれていき、誰からも忌み嫌われる悪党となった。暁星塵自身と薛洋自身との資質や努力や心掛けのようなものの違いだけが理由だろうか?もし天の気まぐれが二人の運命を分けたのだとすれば、今の立場がそっくり入れ替わっていたとしてもおかしくはないのだ。
自分はまだ恵まれていたのだ、そう気づいた時に、暁星塵は今までの自分がどれほど傲慢であったのかを知った。正しいこと、正しくあれること、正しくあろうとすることが、既に恵まれたものの特権であるのかもしれない。そこまで思いが至った時に、『薛洋を亡き者として自分も死ぬ』では何も問題が解決しないのだと理解した。
しかしそれでもなお、人は正しくあるべきなのだと、それは揺らぐことのない信念として暁星塵の中にあった。であるならば、自分にこれからできることはなんなのだろうか。
寝台に並んで横になった時、暁星塵が薛洋に話しかけた。
「あなたが昼間、どこで何をしているのか、知ってしまいました」
「え?」
「何故言ってくれなかったのですか?」
「それより、なんで知ってるんだよ道長」
「あなたが熱で意識のない時に、米麺屋の方が訪ねてきました」
「あ、ああ、そういえばそんなこと言ってたなあの親父」
「私のためにまじめに働きたい、と言っていたと聞きました」
「あの親父余計なことを。まあ、あんたにもう少し栄養付けさせたかったし、悪いことして買ったものじゃあんたが食べてくれないと思ったから」
「そうですね。餓死してやろうとも考えてましたから。あなたはそうまでして、何故私を生かしておきたいのですか?」
「…欲しかったからだよ」
「え?今なんて?」
「飴が、あんたのくれる飴が毎日欲しかったって、それだけだよっ!」
「…あの?本当にそれだけ?」
「それだけだよ」
何故だかおかしくなってしまった暁星塵は、小さくくすくすと笑い始めた。
「なんだよ、笑うようなことかよ」
「ごめんなさい。あなたが薛洋だと知って、もうあの小友はいなくなってしまったのかと思っていました。考えたら同じ人間なんですよね。じゃあ、手を出して下さい」
薛洋が言われるままに手のひらを上にして手を差し出すと、暁星塵は両手でその手を確かめてから片手を懐に入れ、飴を手のひらに一つ置く。
「はい、これ」
薛洋は照れ臭い@qのか何も返事をしなかったが、カサコソと飴の包み紙を開く音がした。
「おやすみなさい、薛洋」
そう言って背を向けて寝ようとすると、薛洋は少し震えたような声で
「ありがとう、道長。あと、ごめん」
と言った。