Another Words

突然創作を載せたり載せなかったりします。

浅い眠り

薛洋は朝餉のあとすぐ出かけて、夕方遅くなるまで帰ってこない、そんな日が続いた。もともと小食の暁星塵は特に昼時に腹を空かせることもなかったが、寝台のそばにはいつもいくつかのお焼きと水、時にはみかんや飴が置かれていた。そしてそれに口をつけようとつけまいと、翌日にはまた新しいお焼きが準備されていた。

薛洋から暁星塵へは朝餉と夕餉の報せ、暁星塵から薛洋へは「厠へ行かせてほしい」、それ以外には言葉を交わすこともなくなっていた。

ほんのすこし前まで、たくさんのことを二人は話していた。食事の時、買い物から帰った時、この少年と交わす言葉は暖かいものだと思っていた。宋子琛という唯一の知己を自らの過ちで失い、光も失った自分にとって、人と触れ合う楽しさを教えてくれた阿箐と少年は、初めてできた家族のようなものだった。それらの全てが偽りの上に成り立っていたのだと思うと、今更ながら自分の愚かさを思い知らされる。

目の見えない自分が霜華を取り返したとして果たしてどれだけ薛洋と闘えるかはわからなかった。長い間欺き続けたように彼はとても頭がよく狡猾だ。剣の腕も邪道ではあるがそれなり以上に立つ上に、かの夷陵老祖には及ばぬまでも邪術にも通じている。おそらく今のままではよいようにもてあそばれた上で、悪くすればさらに罪を重ねさせられかねない。
であるならばできる限り自分も注意深く、彼の些細な変化にも敏感でなければならない。油断させるためにも少しずつでも会話をしよう。疑われない程度に少しずつ。

夕方、いつもより少し遅い時間に帰ってきた薛洋に
「お帰りなさい。今日も遅いのですね」
と声をかけると、突然話しかけてきた暁星塵を訝しむ様子ながら
「ただいま道長。鶏の焼いたのをもらったから一緒に食べよう」
とこころなしか明るい声で返事が返ってきた。
「で、どうしたんだ?道長のほうから話しかけてくるなんて」
「ずっと一人だから退屈なのです」
「俺みたいなのでもいた方がマシってことか」
「そんなところです」
それから二人で夕餉をとった。

昼の間どこへ行っていたのか、薛洋が自分から話すことはなかった。もらったと称する鶏の焼いたものもおそらくはどこかから脅し取ってきたものなのだろう。彼が悪事で得たものを口に入れるのは非常に剛腹であったが、少しも食べないと無理に食べさせられることになるため、ほんの少しだけ口をつけた。会話も弾みようはなく最低限。
それから寝台で背中合わせに横になった。

「お休み道長
薛洋はそう言って返事を待ったが、暁星塵は言葉を返さなかった。

 

 

少しうとうとしていた深夜、名前を呼ばれたような気がして目を覚ましたが、応える気になれずに寝たふりを続けていた。床に就いた時に比べて、背中が密着しているように感じた。薛洋は息を荒くしている。
(ああ、またか)
若い彼は自分を慰めているのだろう。暁星塵はその手の欲求がほとんどないため自分ではすることがないが、一般に健康な男性がそういうことをするのは知ってはいたし、以前も彼がそのようなことをしているのに何度か気付いたことはある。最初は気分が悪いのかと思って心配して声をかけたこともあったが、気まずそうな彼の態度から、見て見ぬふりをするのが正しい対応なのだと悟った。
その時も見て見ぬふりをしていたのだが、時々彼の口から自分の名が発せられていることに不愉快さを感じていた。
薛洋の荒い呼吸は一層激しくなったかと思うと一瞬止まり、その後は呼吸を鎮めようとしているようだった。おそらく放出したのだろう。それからのろのろと立ち上がってなにやらガサゴソとした後、なぜか暁星塵の唇に突然暖かいものが触れた。驚いたがなるべく気づかれないように寝たふりを続けていると、頬に水滴が何粒が落ちたのを感じた。
(泣いている?)
いつまでも離れていかない唇を離すために、寝返りをうつ。薛洋は慌てて顔を離すと、元寝ていた場所へ戻り、寝付いた時と同じように背中合わせに横になった。肩の震えが伝わってくる。
「畜生、畜生…」
やっと聞き取れるくらいの小さい声で繰り返しつぶやいている薛洋は、まるですすり泣いているように暁星塵には感じられた。この男でも人知れず泣く事があるのか、と思った。何を悲しむことがあるのだろう?子琛を殺して傀儡とし、私には死ぬことも許さずに生き地獄を味わわせて、それでもなにかまだ不満があるのだろうか。

やがて薛洋の呼吸が寝息に代わった。暁星塵は目がさえてしまって眠れなかった。