薛洋を救いたいプロジェクトその6
いい加減そろそろ本人の話を聞きに行こう、と毎日のように魏无羡に突かれていたが、蓝忘机は気乗りがせずに先延ばしにしていた。もちろん魏婴の望んでることを叶えるのは優先事項なのだが、どうやれば江宗主に聞かれずに話ができるのかを考えると頭が痛かった。ただでさえ彼は蓝忘机のことをあまりよく思ってはいない。仙督の立場に最低限の礼儀を払う他は、なるべく関わりたくないと思われているのはわかっている。
そんな時、今回の座学は少数精鋭で行われることとなり、世家あたり2人までの参加枠に、予想通り雲夢江氏からは艾渊ともう一人、となった。
静かな雰囲気で始まった座学で、艾渊は特にトラブルを起こすでもなくまじめに講義を受けている。態度も、前に蓮花塢であった時より礼儀正しい。それはとても薛洋とは思えなかった。機会を見て藍忘機が蔵書閣へ呼び出すと、剣を持たずに現れた。魏无羡はおや、と思い、とりあえず座らせた。
「魏师伯、含光君、先日は失礼なことをしてすみませんでした」
「この前よりだいぶしおらしいな。江澄に叱られたか?」
「そうですね、紫電を2発ほど」
なるほど、江澄もちゃんとしつけようとはしてるらしい。
「で、なんのお話なんですか?」
「面接」
「面接、ですか?一体なんの…」
「『江氏双傑』のかな」
「え?私がですが?そんな、まだまだ修行中ですからとてもとても」
「いや、芝居はもういいよ薛洋」
「ああ、やっぱりあんたの目は誤魔化せないか。流石夷陵老祖」
「まあな。ちなみに含光君にもわかってたよ」
蓝忘机がこくりと頷く。
「で、一体何があったんだ?」
「この子が俺を呼び戻したんだよ。まあそれはわかってるか」
「一体どんな復讐を頼まれたんだ?」
「兄弟子4人。うち2人は殺してくれと、残りの2人は命は取らなくても一生嫁ももらえないようにしてくれと」
「宗主は?」
「あれは事故、と言いたいところだけど、実の所あそこまで傷つけるつもりはなかった。ただ、世家を続けられない程度には怪我をさせてくれと」
「で、さっさと片をつけたわけか。流石だな、人を害することにかけてはお前は本当に大したもんだよ薛洋」
「どういたしまして。だけど、一応これでも気は使ったんだぜ。頼まれなかった奴には傷つけるなってあったし。だから俺も、あのちびっ子らに怪我させないように気をつけてた」
薛洋らしい言い方であるのだが、魏无羡には微かに違和感があった。
「お前にしては随分と殊勝じゃないか」
「いや、だって献舎されるのなんか初めてだし、どういう道理でうごいてるものなのかもわからないから、とにかく恨み晴らすまでは頼まれた事以外は誰も傷つけないようにしてたんだぜ」
「で、復讐したいほどの恨みってなんだったんだ?兄弟子にいじめられてたとか仲間はずれにされてたとかいうのは聞いたけど」
「聞いたら、あんたはともかく後ろの保護者は気分悪くて卒倒しかねないぜ。正直、これじゃあ俺だったら皆殺しにするだろうと思ったよ。後ろの保護者には聞かせたくないから耳貸してくれるか?」
「だめだ」と即座に後ろの含光君から声がかかる。
「ああ、俺があんたのことを傷つけかねないと思ってるんだな。ま、信用がないのは仕方がない。耳を汚すけれどあんたが自分で聞くっていったんだからな蓝忘机、悪く思うなよ」
それから語られた中身は、たしかに耳を塞ぎたくなるほど酷いものだった。兄弟子のうち2人が艾渊の名前で妹を呼び出して監禁、散々なぶりものにした後残り2人に押しつけ、残り2人はどうするか困った挙句に妓楼へ売っぱらった、ということだ。
「しかも妹はその後首つっちまったわけで」
「やることがゴロツキ並みだな。そこまで酷いのが修士とは」
「俺に言わせりゃ金光善だって似たようなものだと思うけどな」
「それには少し同意する。…されはさておき、钱宗主は門弟の教育がなってない責任を取らされたのか」
「その通りというか、それに加えてこんなことが裏で起きてるのに全然気がついてなかったような奴に、人を教育する資格はないだろう、というのが艾渊くんの言い分だったわけよ」
なるほど。最愛の妹が陵辱され娼婦に身を落とし自ら命を絶った、となればその恨みはいじめどころではないだろう。前途のある少年が命を捨ててでも復讐したい理由としては、多分これ以上に納得できるものは無さそうだ。
「まあ、そこまではわかった。で、なんでお前なんだ薛洋?」
「いや、俺もそれはよくわからないんだけど、どうやら義城の時のことをあの時いたお子様のうちの誰かが吹聴してて、それで俺の名前を知ったらしい。それで、こんなことが書いてあった」
ーー自分は剣を極めたかったけれど志半ばで逝くことになった。ここまで鍛えた体と技を引き継いでくれる人にこの体を渡すことで復讐のお礼にしたい。どうか剣の道を極め、正しい人となって下さいーー
「で、よくわからないんだけど、こいつのこの願い事も俺を縛るのか?復讐が済んだらお役御免であとは好き勝手に生きられるとかじゃないのか?」
「さあどうだろうね。まあ試して失敗したらお前の霊識が二度と蘇れなくなるだけだけど」
「なんだよあんたにもわからねえのかよ。…まあいいか。善人として生きるのも悪くないかもな、と少し思い始めているんだ。チビどもにも懐かれると可愛いし、食うものにも困らないし、何より、人から虫ケラのように扱われることもないしな」
「だから江澄のところへ?」
「まあ、それもある。元々あそこはあんたがそんなふうに育ったくらいには自由だし、自分みたいなのでも居場所ができるかもと思った。まあ飯がうまそうと言うもあるけどな」
たしかに、血縁や家柄重視の蘭陵金氏や、刀霊の影響で短命になりがちな清河聂氏、4000を超える家規に縛られる姑苏蓝氏に比べれば、彼のような人間でも居場所は見つけやすいだろう。
薛洋の口調に感じるかすかな違和感、それは彼自身が最近はそう言う言葉遣いをしておらず、昔の薛洋の口調を自分自身で思い出しながらなぞっているような、そんなわざとらしさであるように感じた。
「江澄に薛洋だと気付かれるとは思わなかったのか?」
「彼とは剣も交えてないし、俺の性格についてもほとんど伝聞でしか知らないだろ?それに、彼はあんたほどは注意深くないし」
それはたしかにそうだ。
「で、言うのか?俺があの薛洋だと、江宗主に」
「その前にもういくつか聞いておきたいことがある」