薛洋を救いたいプロジェクトその11
蓝忘机がまた雲夢江氏に呼び出された。今回は魏无羡も来いとのことだった。どうやら江澄はかなり怒っているらしい。彼も観音廟で金光瑶から指摘されれたことを少しは気にしているのか、前よりは頭ごなしに怒りをぶつけてくることはなくなったようではあるのだが、それでもさすがに今回は怒りを隠そうとはしていなかった。
「それで、なんの用だ?」
「とぼけるな魏无羡。あいつが、艾渊が何者なのかお前知ってただろう」
「ああ、あいつの中身が献舎された薛洋だってことか。それは最初に会ったときにすぐわかった」
「なぜその時に俺に教えなかった?仙督も知っていて俺には黙っていたのか?」
今にも紫電を打ち出しかねない江澄の態度に、蓝忘机も身構えて避尘を3寸ほど鞘から覗かせる。二人が今にもやりあいそうな険悪な雰囲気になっているのと対照的に、魏无羡は淡々と話し始めた。
「あの時教えたらお前どうしていた?あいつを破門するだけでは済まずに、薛洋が前世で重ねてきた悪行全部の責任をあいつに取らせるために殺すくらいのことはしただろ?」
「それぐらいして当然だろう。お前はお前の师叔があんなことになった罰を与えたいとは思わないのか?本当にお前は、お前にとっても育ての親である俺の両親を惨殺した温狗の生き残りを庇って江家を捨てた時から何も変わらない。今度はよりによってあの薛洋を莲花坞に住まわせるのか?」
「そうだとも言えるし、そうでないとも言える」
「どういう意味だ?」
「江澄、よく考えてみろよ。疑いを持たれるまで、お前は一瞬でもあいつが薛洋かもしれないなんて思ったことがあったか?今の姿になってからのあいつが、何か人を害するようなことをしたか?今世であいつがしてきた善行は、全部意味がないことなのか?」
江澄は一瞬言葉に詰り、そして思い出したように続けた。
「钱氏で兄弟子たちや宗主が相次いで死んだり酷いけがを負ったりしたのは、あいつのやったことなんじゃないのか?」
「うん、そうだよ。あいつがやった。俺が莫家でやったのと同じことだ。それをやらなければ、献舎をした側は無駄死にになる。自分のこの先の人生を失ってまで託された願いを叶えないとしたら、その方が人の道にもとることにならないか?」
江澄は今度は完全に黙り込んだ。
「なあ江澄。俺は江おじさんに見つけられてここへ連れてこられて、おじさんや师姐やお前に、俺のことを大事に思ってくれて信じてくれる人に囲まれて育ったけれど、たとえば誰からも大事にされず、だれからも信じてもらえずに子供のころから生きてきたら、それでも他の誰かのことを気にかけたり信じたり大切に思ったりできるようになると思うか?」
「……」
「あいつは多分、今の身体を得て『あの薛洋』ではなくなることで、初めて誰かから気にかけたり信じてもらえたりするようになったんだよ。だから人を害するのではなく、優しくできるようになった。知ってるだろう?あいつが夜狩のときに自分より弱いのがいると怪我させないように庇ったり助けたりしていたってこと」
「……ああ、何度も見ている」
「それを見てもなお、お前はあいつが『あの薛洋』だから罰されるべきだと思うのか?薛洋が『あの薛洋』になったのは全部あいつひとりが悪かったのか?」
淡々と話していたはずだったが、いつの間にか魏无羡の目からは光るものが二筋流れていた。
「魏婴」
蓝忘机の呼びかけで何かを思い出したのか、魏无羡は蓝忘机の肩に顔をうずめて泣き始めた。蓝忘机は髪をなで、愛する道侶が落ち着くのを待つ。
「……もう大丈夫。お前がいてくれてよかったよ蓝湛」
そういうと魏无羡は江澄のほうに向きなおり、言葉を続けた。
「人は信じたいものしか見えない。お前の目にあいつが『あの薛洋』に見えるんなら、あいつは『あの薛洋』なんだろう、お前にとっては。だけどお前があいつを信じてやれるんならば、あいつはあいつ自身がそうでありたいと思っている、『あの薛洋』ではないあいつ本人なんじゃないか?たとえあいつの中身が薛洋としての前世の記憶を持ったままだとしても」
「……少し、考えさせてくれ」
江澄は絞り出すようにそれだけ言うと、考え込んでしまった。
「そういえば、その本人は今どうしてるんだ?」
「妹の墓参りがしたいといって、3日まえから出かけている」
「帰ってくると思うか?もし帰ってこなかったらどうするつもりだ?」
「わからない。まだ、どうすべきか決められない」
「江澄、俺はお前を信じてるよ。お前が本当は情の厚い、優しい男だって」
「お前らは早く帰れ。俺を一人にしてくれ」
御剣して帰る時、珍しく蓝忘机が先に口をひらいた。
「魏婴、何度も言ったと思うが、私に感謝の言葉を言わないでほしい」
「蓝湛、お前こそ、俺がありがとうと言うたびにそんなに傷ついた顔をするなよ。あの日だって…」
「あの日?」
「云苹城で俺がお前に、じゃない俺たちが、その、初めていいことした時だよ。あの時俺は本当にお前と会えてよかったと思ったのに、お前にあんな風に突き放されて、本気で死んでしまおうかと思ったんだぞ」
「君は死んだりしない。私が悲しむのを知っているから」
「いやそれは今は確かにそうだけど。…まあいいや。ああ結局今回も蓮根と骨付き肉の湯にはありつけなかったな」
「私が作る」
そういいながら、早く帰ってこの道侶に口づけしたいのに肉を買うために寄り道しなければならないことに、少しだけ不満を覚えた蓝忘机だった。