Another Words

突然創作を載せたり載せなかったりします。

薛洋を救いたいプロジェクトその1

ついにこんな日が来てしまった。

 

江氏双傑。若き日の江澄の蓝氏双璧への対抗心をネタとした、どちらかといえば戯言の類である。もちろん内心に自ら恃むところの非常に大きな江澄のこと、本気で双傑であると考えていただろうことは想像に難くない。しかし、本人たちが自称する以外には誰からも呼ばれることもないまま、魏无羡が邪の道に堕ちて江氏を離れ、全ての世家を敵に回して命を落とし、十数年を経て復活したのちは事実上雲深不知処を住処としてており、もはや彼ら二人が双傑を名乗っていたことさえ忘れ去られていた、筈だった。

最初に噂を聞きつけたのは景仪だった。次世代の蓝氏双璧の片割と言われている景仪だが、少々お喋りで軽率なところがある。その日も、新しく仕入れてきたネタを自慢げに思追に披露していた。

「江氏に凄い奴がいるらしい」

話によれば、剣のキレは若い頃の魏无羡に勝るとも劣らず、弓の腕前も目隠しをして5本の矢を同時に放ち全て的中させるほど。そして会う人を虜にする笑顔と、打てば響く聡明さを持ち合わせており、内弟子の一部は既に彼を「江氏双傑の片割」と陰では呼んでいるらしい。ただ、江氏の宗主は何かの理由で彼の存在を隠そうとしているのだとか。

「何、俺の噂?そんなに褒めても何も出ないぞ」通りかかった魏无羡がからかい気味に声をかける。「他人の噂話とか、蓝氏の家規では禁じられてる筈だろ。だよな含光君」「うむ」

「す、すみませんでした。私は仕事に戻ります。ほら景仪も早く謝って」「すみませんでしたっ」二人は慌てて立ち去った。

「気になるのか?」

後ろ姿を見送りながら蓝湛が尋ねる。本当になんでこいつはいつもいつもこんなに俺の内心の動揺に敏感なんだよ、これじゃ考えてること全部筒抜けじゃないか、と少し拗ね気味の魏婴は「なんてことないね。江澄もあれだけ沢山弟子がいれば中にはそんな奴も現れるだろ。新しい江氏双傑も悪くないだろ」と強がってみせる。双傑、金丹を持たない自分にはたどり着けない高みに、江澄が自分以外の誰かと共に上りつつあることに心が痛まない訳ではなかった。しかし、江澄のことを考えれば、そこは喜ぶべきであろう。いつかこんな日が来ることは、覚悟していた。

しかし腑に落ちない。虚栄心や功名心の強さは誰もが知る江澄の最大の欠点である。とにかく負けず嫌いなのだ。そんな彼が並外れて優秀な弟子を得たことをひた隠しにするだろうか。いくら江澄でも弟子の優秀さに嫉妬して隠すほど狭量ではない筈だ。何か裏があるのではないか。

「魏婴?」

考え込み始めた魏婴を気遣って蓝湛が声をかける。「ごめん含光君、気にならないは嘘だな。ちょっと違和感があるんださっきの話」

「私も、そう思う」

さすがは俺の含光君、全部お見通しだな…、さっきは内心が筒抜けだと拗ねていたはずが、今は言わずとも全てを理解してくれる道侶の心遣いに幸福感が湧き上がるのを感じていた。

 

ひと月ほど経って、二人で莲花坞へ行く用事ができた。と言っても、用があるのは蓝忘机だけであり、魏无羡は少し前に含光君の留守中訳の分からない実験に夢中になってボヤを起こしかけたために「忘机、お前がちゃんと監視してろ」と蓝先生に厳命され留守番が許されなかったからなのだが。

「魏无羡!なんでお前までついて来てるんだよ?」

いきなりの怒声だが、目には怒りはない。江澄の中でもいろいろなことが消化されたのであろう。

「二人が用事済ませてる間に师姐にお線香あげにいっていいか?」

と聞くと

「あたりまえだろ。姉さんも待ってるから早く行ってこい」

と背中を叩かれた。

祠堂はひんやりとした空気が漂っている。前にここに蓝湛と来た時は、まさか今のような日々が来るとは思ってもみなかった。誰よりも強く気高く美しいあの男が、人生を共に歩むただ一人の相手として自分を選んでくれた。「师姐、人を好きになるのってこんなに幸せなことなんだね」ぽつりと一言呟いて拝礼を済ませると、どこかから刺すような視線を感じた。

 

振り返ると、少年と青年の境目くらいのすらりとした若い男が立ってこちらをみている。かつての自分より、いや今の自分よりももう少し小柄だが、細い四肢を濃い紫の服に包み、(おそらく夷陵老祖でなければ気付かないほど)ほんの微かに邪気を含んだ熱っぽい気を発しているが、その表情は噂通りの人を虜にする笑顔だった。

(こいつか…。でも、俺こいつにどこかで会ったことがあるような気がする)

視線が合うと、その男は朗らかに

「魏先輩、ですよね。初めまして。艾渊です」

と挨拶をして来た。

「ああ、君が噂の『江氏双傑の片割』」

そう答える間もなく、いきなり切りかかってこようとする。

「おい!艾渊!やめろ!」

江澄の怒鳴り声とともに、目の前を白い影が横切る。鞘のままかざされた避塵に艾渊の剣が跳ね返される。

「すみません宗主。つい、高名な师伯にお手合わせしていただきたくて」

「こいつは剣を佩いていないだろう」

江澄にそう指摘され、艾渊は今更のようにしまったという表情で屈託のない笑顔を向ける。

「手合わせならば私が」

含光君が魏无羡の前に立ち塞がり、避塵を鞘から抜くと隙のない構えを見せる。

「あぁ、仙督、悪かった、弟子の躾が足りなかったようだ。こいつは剣の腕は立つんだが、どうにも礼儀が…」

江澄が場を収めようと慌てて割って入る。

「昔の俺もこんなだったしな。よく蓝湛に『恥知らず』とか言われてたっけ」

魏无羡の言葉に蓝忘机は一瞬微かに苦笑すると、チャン、と音を立てて避塵を鞘に収め、「魏婴、帰ろう」

と言って手を取った。

「ええ、泊まっていくんじゃなかったのかよ。せっかく骨つき肉と蓮根の汁にありつけると思ったのに」

不満を漏らす魏无羡に、蓝忘机は一言

「私が作る」

と言って、強引に手を引いて帰路についた。

「なんだよあいつら」せっかく久しぶりに魏婴と酒が飲めると思っていたのに、と江澄は愚痴った。いくら道侶とはいえ、こっちは本当の兄弟のように育って来た義兄弟なのだ。

「まあ、また次があるだろう」